母施設に入る。
母がまだ、自分で動ける間はよく一緒に食事に行った。
海沿いを走って道の駅で食事したり、山の中にある蕎麦屋に行ってみたり。。。
でも、次第にそそうをするようになってしまった。
昔から食べることの大好きだった母は、消化できなくなったのにもかかわらず、腹いっぱい食べるのだ。いや、ひょっとしたら、もう満腹という脳波が出なくなっていたのかもしれない。
食事したところでそそうをして、マーケットでも粗相をした。
我が家に年末に来た時にも、風呂場で粗相をした。まにあわなかったのか、脱衣場にも便をぶちまけてしまった。
母の色白な尻を洗い着替えさせ、寝かしてから脱衣場とふろ場の掃除をした。
息子夫婦も戻ってきていたので、気づかれないように必死で掃除をした。
予感があったので、シーツを引いておいたことが幸いした。
それから、意識無くなることががしばしば。
食事中に突然ふーっと意識を失うのだ。
そのたびに救急車で運ばれた。
国立病院で、検査入院もしたが、原因不明であった。
そののち、通所していた病院での検査で、カテーテルが必要だという連絡。
えっ???
その病院は必要もないのに、カテーテルしたり、やたらと、ペースメーカー
埋め込むと評判の悪徳病院である。そこに預けるのは心配だった。兄が、膠原病になるきっかけとなったのもこの病院だったから。
母の入院の際、娘と話し合って、我が家の近くの国立病院で、再検査をして、手術するかしないか決めることになった。
検査の結果は、案の定でたらめな診察で、危うくペースメーカーも埋め込まれる一歩手前だった。
転院のさい、院長たる執刀医の医師は娘をこの若造がと卑しめて、見送りにも来なかった。
恥ずかしくて、出て来れなかっただろうよ。
田舎の医者は信用できなくても、十分やっていける。なぜなら、田舎者は義理堅く、もし、診察に対して、抵抗の姿勢を見せようものなら、そこの病院に行けなくなると心配しているからだ。彼らは車も運転できないし、バス停の近くのその病院に行かざるを得ないというわけだ。理不尽この上ないが。。。
子どもを必死で育てて、心血をそそぎ、大枚はたいて、マチの大学へ行かせる。
彼らは楽しいマチからは戻らない。そして、そこで家庭を設ける。かくして、大都会は子供を育てずして、税金を稼ぎ、
田舎はぼろ雑巾のようになった老親だけが残り過疎化が進むというわけだ。
議員ってどんなことする仕事だったっけ???
あべがでてきたあたりで、分からなくなってしまった。。。
誰か教えてください。