姑。

8月30日に自宅に戻ってきた。

9月1日からコロナで休みの孫守である。

小学生がふたり。もう、手がかからない。気晴らしに丁度よかった。

最初の二人は1歳半しか変わらないから、その忙しさと言ったらなかった。

しかも、切迫流産の可能性があったので、我が家で、入院と同じ扱いにしてほしいということで、トイレに行くほかは何にもしない。

実は私は股関節の手術をしていて、気力も体力がない。

本当に倒れる寸前まで世話をした。保育園のお迎え。3度3度の食事の世話。

大量の洗濯物。まるでお手伝いさんのようであった。

やっと二人少し大きくなったと思ったら、なんと3人目の妊娠。

本当にふざけるな!!!!!!!!!!!!!!!!!

私を家政婦とでも思っているのだろうか。きっと私がいなければ、安易に3人などうまなかったはず。

さすがに、パパにもどんな気持ちなのかと、話をする。

私自身手主人が転勤族だったから、一人で子育てをした。つらかった。

あのとき、つらくてつらくて、たぶん精神的に病んだと思う。

あの頃の主人は、公務員だったが、土木だったので、やれ、台風、やれ、災害だといっては、午後10時以前に戻ってきたことがなかった。

主人の実家に近い時が4年ほどあったが、冷たくて、横柄なパチンコばかりしている舅、姑に助けてもらったことはない。

母の日や父の日、我が家の誕生日などの祝い事には、当たり前のように招待をしていたものだ。

主人は東京出張が多く、娘が寂しいと泣くので、姑に留まりに来てもらったが、まるで、お客様扱いで、上げ膳据え膳で、子供の開いてもしない。本当に厚かましいだけの女であった。そのくせ、私が、そのことを主人に話すと、激怒して、息子から、そんなこといわれたら、どんな思いか分かるかと、土下座させられたこともあった。なのに、泊まりに来ると、帰りたくないと名残惜しそうに帰っていく。

端から見れば、嫁を助ける良い姑だったろうが。飛んだ食わせ物である。