母の死。

母が逝ってしまった。

28日金曜日の明け方3時13分ごろに松本看護師さんから電話。

様子がおかしくて、危ないかもしれないとの電話。

とりあえず娘もつれて、3人で施設に駆けつける。

エレベーターを降りたとたんに
松本さんが顔をゆがませて近づいてくる。

もう、、、、、と、良く聞こえない、

あわただしく病室に入るとすでに心臓が止まり、医師の宣告を受けた後だった。

15分ほど遅かった。4時34分。

松本さんから、心残りです。と声をかけられたが、私としたら、コロナ禍の中、1日おきに1時間以上面会できて、手を握り、足裏をマッサージして、髪をとかして、ほほを両手で挟んで、声をかけていた。

ありがとう。大丈夫だからね。何があってもまた必ず会えるからねと。毎回はなしかりていた。ほほを両手で挟むと、安心したように目を閉じるのだ。

沿い後に、看護師さんや、介護士さんに体をきれいにしてもらい、新しい浴衣に着替えさせてもらっていた。

薄化粧を施されて、色白の母は生きているようで、微笑んでいるように見えた。

葬儀社に連絡を取り、自宅に連れ帰る。

帰りたいといつも言っていたのに、私の股関節が悪いばかりに、帰れなくて、ごめんなさい。

翌日29日通夜、30日葬儀。段取りをつける。

イケていない担当のおデフ男。

書類の作成上、主人が印鑑を取りに娘と帰る。高速で1時間以上かかるのだが、仕方ない。

一人になると、悲しさより、母の遺体が怖くてならない。娘はそれはおかしいというのだが、父のときも兄のときも、すごくこわかったのを覚えている。

亡くなったのは、29日、いみじくも娘の誕生日。きっと母は忘れてほしくなかったのかも。

そして、母の逝く前日に母と仲のよかった近所のYさんが、一足先に逝ったのを新聞で知って、思わず、良かった!と叫んでしまった。一人じゃないんだ。と。

きっと母を誘いに来たのだろう。