いけないいけない。。。
気が付いたら、母に対する愚痴になっていた。
看取りに少し疲れてきたのかもしれない。ごめんなさい。お母さん。
もちろん、悪いことばかりではない。
商売をしていたおかげで、贅沢もさせてもさせてもらった。
まだ、商店街がにぎやかだったころ、洋服やに飾られていたセーラーカラーの襟をしたニットのブラウスが可愛い言ったとたんに、小学校から帰ると、私を待っていた。
又、県に一つしかないデパートに行ったときに可愛いふわふわのファーの帽子があり、帰りにあれ、可愛かったね。といっただけなのに、2-3日後には、これまた私を待っていた。まだ、クロネコや、佐川がこんなに動いている時代ではないのに。。。
こんなことは一度や二度ではない。
寿司は必ず特上寿司だったし、誕生日やクリスマスには、当時珍しいホールケーキが出てきたものだ。誕生日パーティのようなことも頑張ってやってもらった。
欲しいと言って買ってもらえなかったことはないし、お金に困ったことは一度もない。
学生時代のお弁当はいつも豪華で、恥ずかしくて、隠して食べていたほどだ。
ありがとうね。
母は9人兄弟の下から4番目。貧しい中でも姉や兄が早くから働くことで、守られて育ったらしい。
ひょっとしたら、私にも甘えていたのかもしれない。
兄に対しては、あの子はいつまでも心配だとつぶやき、あんたはどこに放りだしても心配ないと言われていた。
それが不満だったが、結局私が兄と母を看取ることになってしまった。
あんなに心配して、愛していた兄を認知症になっていけばいくほど忘れて行き、産んだことすら忘れてしまったのは、不思議でならない。
こちらが心配して、あまり話さなかったにしても、すっぽり兄の事が抜け落ちたのは不思議である。
私にとっては助かったのだが。。。
つづく。