兄のこと
母は良く私に言った。
兄ちゃんは子供のころ色白で顔もかわいらしいと良く褒められた。
足も速くて、いつもリレー選手だった。スポーツ少年団として、県の代表にも選ばれた。
きっと私に似たんだわ。
私にはひややかで、私が小学校から不正咬合を指摘された時も知らん顔だった。あんたの笑う顔はまるで婆さんみたいね。しばしばそうも言われていた。不正咬合なんだから、そんな風にしか笑えない。
おかげで、40歳で矯正歯科に通うようになるわけだけれど。
我が家は商売をしていた。
私は、小学校のころから良く手伝わされていた。
夕方まで遊んでいると早く帰ってこんかい!と、叱られていた。
販売は当たり前で、注文取り、配達と、ほとんどやらされていた。
兄はなぜか、あの子には出来ないからと理由にならない理由で、すべて免除されていた。
父は酒乱で、仕事をしないわけではないが、母ばかりが働いていたように思う。
父と母の事は、ここでは割愛する。
父は46歳の若さで、病死している。
いつも怒鳴り声が聞こえて、普通の家庭でなかったことは間違いない。
しかし兄も、もういない。
あんなに母が大切にしていた兄は大学受験の際、高熱を出して、田舎の町医者で出してもらった薬が会わず、膠原病になってしまう。
高熱が出るたびに、ステロイドで何十年もコントロールしてきたが、最後は寝たきりになってしまった。
脳梗塞になり、四肢がマヒで話せない。
私が想像するうえで一番過酷な状態であったと思う。
母はほとんど思考停止に陥り、商売も畳んでいたので、兄が死ぬまでつきっきりだった。
その後は全て私が彼らの生活拠点を探すことになる。
介護5の治療に不要なお金にならない患者は居場所を失うのです。
続く。